AIと人が共に業務を遂行する世界に向けて
SAPジャパンの戦略と取り組み

SAPは5月に開催したグローバル年次イベント「SAP Sapphire 2026」において、AIエージェントを活用した新たな企業変革のビジョン「Autonomous Enterprise」を発表した。本記事では、この発表を受けてSAPジャパンが7月21日に開催したプレスセミナーの内容を基に、Autonomous Enterpriseの全体像と、その実現を支えるAIエージェント向け統合基盤「SAP Business AI Platform」、さらには「SAP Autonomous Suite」の詳細を紹介する。

AI活用を阻む三つの課題
多くはパイロットフェーズで停滞中

SAPジャパン
APACカスタマーアドバイザリー統括本部
Business AI Japan Lead
本名 進

 SAPジャパンは、「Autonomous Enterprise」を提唱している。これは、人が中心に業務のオペレーションを行っていたものを、AIが分析して自ら考えて実行する。そして、人はAIが提示した提案や判断結果を評価し、最終的な意思決定を行うという、AIと人が共に業務を遂行していく世界だ。

 しかし、その実現のためには大きな壁があると、SAPジャパン APACカスタマーアドバイザリー統括本部 Business AI Japan Lead 本名 進氏は語る。「AI活用は急速に進んでいますが、その多くはパイロットフェーズで停滞しています。その理由は三つあります。一つ目は、ビジネスや業務プロセスに関するコンテキストの欠如です。汎用AIモデルはデータを読み込むことはできますが、各企業が実際にどのような業務プロセスで運営されているかまでは理解できません。二つ目は、データ接続と連携の欠如です。企業の業務システムは分断されていることが多く、AIに業務の文脈を十分に学習させることができていません。三つ目は、ガバナンスと信頼性の欠如です。AIエージェントは自律的に活動するため、どこまでAIに任せるべきか、何を制限すべきかを定義することが難しくなっています。こうした課題によって、AIの精度や信頼性を十分に担保できず、多くの企業がパイロットフェーズから本格導入へ移行できていません。しかし、当社はこれら三つの課題を解決するための技術をすでに備えています。AIに深い業務知識を与える技術に加え、業務の文脈を維持したまま顧客データをAIに活用させる技術、さらに企業利用に耐えうるガバナンスやAIエージェントの実行・運用基盤も備えています。こうした技術基盤があるからこそ、当社はAutonomous Enterpriseを実現できるのです」

AIエージェント活用を支える
SAP Business AI Platform

 Autonomous Enterpriseを実現するために、具体的にSAPジャパンではどのようなソリューションを提供しているのだろうか。その一つが、AIエージェントのための統合基盤「SAP Business AI Platform」だ。これは、AI開発基盤の「AI Foundation」と、AI活用のためのデータウェアハウス「SAP Business Data Cloud」、SAPソリューションの拡張・連携基盤である「SAP Business Technology Platform」を統合したプラットフォームである。

SAP Business AI Platformは、コンテキスト・推論、ガバナンス、開発の三つの領域で構成されており、AIエージェントを企業の本番業務で安全かつ効果的に活用するための基盤となる。

 SAP Business AI Platformは三つの領域で構成されている。一つ目が、コンテキスト・推論の領域だ。「LLM(大規模言語モデル)にお客さま環境のデータや業務の文脈を正しく理解させるキーとなるのが『SAP Knowledge Graph』です。SAPソリューションには700万以上のデータ項目があり、AIが文脈を理解し、適切なデータ項目にアクセスできるかどうかが最もハードルの高い部分になります。SAP Knowledge Graphは自然言語と実際にアクセスするデータ項目をマッピングし、AIエージェントが正確なデータ項目にたどり着くための“コンパス”として機能します。これがあるからこそ、ユーザーと対話型のコパイロット『Joule』の会話を通じて、AIは適切なデータにアクセスし、業務プロセスを正しく理解した上で分析を行い、精度の高い結果を返せるようになります。さらに、当社独自のコードやメタデータ、業務プロセス、ドキュメントを基に学習したAIモデル『SAP Domain Model』も搭載しています。SAP Knowledge GraphとSAP Domain Modelによって、AIが正しい動作を行えるようになるのです」と本名氏は語る。

 LLMは文章などの非構造化データに基づくテキスト生成を得意とする一方、SAPのような基幹システムのデータベースに蓄積された表形式の業務データを推論することは得意ではない。そこでSAPジャパンは、表形式データ向けの基盤モデル「SAP-RPT-1.5」をリリースする予定だ。通常、予測AIを構築するには、業務シナリオごとにデータを収集し、アルゴリズムを設計・学習させる必要があり、そのプロセスには数カ月を要する。しかし、SAP-RPT-1.5は事前トレーニングなしで、さまざまな業務プロセスに対する予測を即座に開始できるのだ。さらに、SAP以外の業務システムに対する予測にも対応するため、SAPは表形式データの基盤モデル分野をリードするAIラボである「Prior Labs」を買収している。

 二つ目がガバナンスの領域だ。この中心となるのが、IT資産管理ツール「SAP LeanIX」の機能である「SAP AI Agent Hub」だ。SAP AI Agent Hubは、SAP製のAIエージェントだけでなく、サードパーティー製のAIエージェントやLLM、MCPサーバーなどを一元管理する。さらに、プロセス管理ツール「SAP Signavio」には、AIエージェントの動作状況や依存関係を可視化する機能を追加する予定だ。加えて、「SAP Cloud ALM」と連携することで、AIエージェントが期待通りに動作しているかどうかを監視・管理する機能も提供するという。

 また、AIエージェントの安全性を支える技術的ガードレールとして、「カンパニーメモリー」も提供する。これは、組織独自のポリシーや業務ルールなどの暗黙知を構造化し、AIエージェントが従うべき行動指針として一元管理する仕組みだ。これにより、AIエージェントの意図しない動作を防ぎながら、企業のガバナンスに沿った運用を実現する。

 三つ目が開発の領域だ。その中核となるのが、「Joule Studio」だ。Joule Studioでは、AIとの対話を通じて開発を進めるバイブコーディングによるAIエージェントの開発が可能だ。

 本名氏は汎用の開発ツールと、Joule Studioの違いについてこう話す。「お客さまが実際の運用を通じて蓄積してきた業務プロセスの情報はSAP Signavioから、複数システムにまたがるITアーキテクチャの情報はSAP LeanIXから取得します。また、当社の製品ナレッジや開発手法については、SAP Knowledge GraphとSAP Domain Modelを参照します。これらの情報をAIが横断的に活用することで、業務文脈を踏まえた開発が可能になります。汎用ツールによるバイブコーディングとは異なり、業務の背景やシステム構成を理解した上でAIエージェントを開発できるのです」

業務を自律実行するAIを実現する
SAP Autonomous Suite

 Autonomous Enterpriseを実現するためのソリューションとして、「SAP Autonomous Suite」も発表された。SAP Autonomous Suiteは、企業の主要な業務領域にAIアシスタントとAIエージェントを組み込むソリューションである。経理・財務、支出管理、サプライチェーン、人材管理、カスタマーエクスペリエンスの五つの領域で展開されており、現在、51のAIアシスタントと、それに属する224のAIエージェントが予定されている。今後も対象領域や機能の拡充を進めていく計画だ。

SAP Autonomous Suiteにおいて、AIアシスタントが司令塔となり、複数のAIエージェントを指揮する。
SAPジャパン
カスタマーアドバイザリー統括本部
バイスプレジデント・統括本部長
織田新一

 SAPジャパン カスタマーアドバイザリー統括本部 バイスプレジデント・統括本部長 織田新一氏は、SAP Autonomous Suiteを最大限に活用するためには、組織の在り方そのものを見直す必要があると指摘する。「基幹業務におけるAI活用は、質問に答えるAIから業務を支援するAIへ、そしてSAP Autonomous Suiteでは業務を自律的に遂行するAIへと進化します。AIアシスタントを業務の実行主体として位置付け、人は意思決定やAIエージェントの管理に注力することが求められてくるでしょう」

 併せてSAP Autonomous Suiteの新しいUXとして「Joule Work」も発表された。実現したい業務の意図を自然言語で伝えるだけで、Jouleが適切なワークフローやデータ、AIエージェントの組み合わせを提案し、実行に向けてオーケストレーションを行う。特長として、固定のUIではなく、ユーザーの意図や文脈に基づいたUIをAIが動的に生成・表示する点にある。

 さらに本プレスセミナーでは、企業がAutonomous Enterpriseへの移行を支援する取り組みについても説明した。「その一つが『RISE with SAP』です。RISE with SAPは、オンプレミスのERPを利用している既存のお客さま向けのクラウド移行を支援する取り組みになります。もう一つが『SAP GROW』です。SAP GROWでは新たに当社のERPを導入するお客さまを支援します。いずれの取り組みにおいても、AIエージェントを活用することで、導入や移行の効率化を図り、スピード、コスト、品質のバランスを保ちながら移行を実現します」と織田氏は語った。