AIを用いて安全な避難行動を促す
逃げ遅れゼロに向けた川崎市の取り組み

自然災害は、突如として想像を超える力で襲ってくる。2011年3月11日、東北地方を中心に多くの犠牲者を出した東日本大震災。地震によって発生した津波の被害は想像を絶するものだった。今後、数十年以内には南海トラフ巨大地震の発生、それに伴う津波の襲来に警戒が必要とされる。神奈川県川崎市では、こうした津波に備えてさまざまな取り組みを行っている。その一つが富士通、東北大学災害科学国際研究所、東京大学地震研究所と共同で行った「スーパーコンピューター『富岳』とAIを活用した地域コミュニティ型避難の実証実験」だ。

防災意識の低さが課題

神奈川県川崎市
神奈川県の北東部に位置する人口154万2,044人(2022年7月1日時点)の政令指定都市。東京都と横浜市に隣接している。東京都との境を流れる多摩川に沿って市域が細長く広がっており、北西部は豊かな自然に囲まれている。東部の東京湾岸の埋立地は、隣接する横浜市鶴見区沿岸部と共に大規模な重工業地帯となっている。厄よけ大師として知られる「川崎大師 平間寺」、巨大商業施設の「ラゾーナ川崎プラザ」、サッカーや陸上大会が開催される「等々力陸上競技場」など日々多くの人でにぎわっている。 画像提供:川崎市

 近い将来、発生する可能性が高いといわれている南海トラフ巨大地震。関東地方から九州地方にかけた太平洋沿岸の地域においては、10メートルを超える津波の襲来が予測されている。各自治体では、地震への備えだけではなく、津波による浸水被害から市民を守るための対策が喫緊の課題となっている。

「川崎市では、2019年10月に発生した東日本台風の影響で、多摩川沿岸地域を中心に大きな浸水被害を受けました。さらに今後は南海トラフ巨大地震の発生における津波および浸水被害も予想されます。行政として被害を最小限に抑えるための防災対策に注力していますが、市民の防災意識に関して課題があると感じているのが実情です」と川崎市 危機管理本部 危機管理部 事業調整担当 担当課長 小山貴志氏は話す。

 災害への備えには、自身で身を守る「自助」、地域や周囲の人と協力して助け合う「共助」、市町村と消防や警察といった公的機関が救助・援助を行う「公助」の三つの要素が重要となる。災害発生時の避難行動は市民に委ねられており、防災意識が低いと逃げ遅れてしまうケースも考えられる。市民に災害のリスクを認識してもらうことや避難のための正しい防災情報を提供することなど、さまざまな対応が求められているのだという。

地域一丸となって避難対策

 川崎市では、富士通とICT環境の充実や次世代育成などの分野における連携・協力を通じた持続的な街づくりを目指して、2014年に包括協定を締結。その活動の一環として、2017年から東北大学災害科学国際研究所、東京大学地震研究所と連携し、4者による「川崎臨海部におけるICT活用による津波被害軽減に向けた共同プロジェクト」を開始した。沖合の津波観測データとAIやスーパーコンピューターなどのICTを最大限に活用し、地域の特性・ニーズを考慮した実用的かつ有効な津波防災対策に向けた技術開発を産官学協働体制で行っている。そして今回、共同プロジェクトとして実施したのが、「スーパーコンピューター『富岳』とAIを活用した地域コミュニティ型避難の実証実験」である。

「東日本大震災では、津波による甚大な被害が生じました。こうした被害を教訓に、適切な避難行動、避難に向けた情報の取得や活用が重要であると考えています。津波予測技術を用いることで、安全で適切な避難行動を促し、被害軽減へとつなげていきます」と富士通 研究本部 人工知能研究所 主席研究員 大石裕介氏は説明する。

 実証実験は、2022年3月12日に川崎区総合防災訓練と同時開催され、子供から高齢者までの市民とプロジェクトメンバーを含む計183名が参加した。東北大学災害科学国際研究所 所長の今村文彦氏および東京大学地震研究所 教授の古村孝志氏による監修・助言のもと、富士通が開発した専用のスマートフォンアプリを通じて、津波の到達時間や浸水の高さなどの津波浸水予測情報を避難訓練の参加者に配信。配信された情報を基に避難を行った。加えて、参加者同士でメッセージを送り、逃げ遅れている人に避難を呼び掛ける機能の有効性などが検証された。

 配信する情報は、デジタルリテラシーに応じて、避難訓練の参加者を二つのグループに分けて展開。AIによる予測情報の不確実性を含めて実証実験の事前説明を受けた参加者(災害情報リーダー)には、AIが予測する津波到達時間や浸水の高さなどの詳細な情報を表示。一方、そのほかの参加者には、自身が居る場所に浸水予測が出ていることを示すシンプルなテキストメッセージが表示された。「デジタルに不慣れな人でも、情報を取得し、避難ができるように分かりやすいUIを心掛けています」(大石氏)

 アプリでは、次の三つの機能が利用できる。

① 市街地の津波浸水の予測状況の取得
② 街の情報の投稿やシェア
③ 家族や仲間に向けた呼び掛けや位置情報の確認

 ①による避難行動の支援だけではなく、②や③の機能を活用することで、地域一丸となって協力し合う体制が作れる。

避難意識を高める

 実証実験で活用されたアプリは、社会実装に向けてさらに改良や検証を行っていく予定だ。「参加者からは『避難予測が分かると気持ちに余裕ができる』『呼び掛け機能があると安心』といった声が多くありました。情報が見えることで、避難意識を高める効果や逃げ遅れの心配がある人への注意喚起にもなります。逃げ遅れゼロに向けて、精度の向上を進めていきます」と大石氏は話す。

「津波浸水予測のアプリは自助を支える効果的なツールになり得るものだと考えています。さらにアプリでの呼び掛け機能は共助につながる取り組みです。災害時における市民の逃げ遅れゼロの実現に向けて、富士通さま、東北大学災害科学国際研究所さま、東京大学地震研究所さまと共に災害対策を強化させていきます」と川崎市 危機管理本部 危機管理部 事業調整担当 担当係長 直塚望生氏は今後の展開への期待を込めた。