2024年に日本企業が押さえておくべきクラウド・コンピューティングのトレンドとして、ガートナーが発表したキーワードの一つが「2026年問題」だ。国内における多くの企業が、いまだクラウド活用の重要性および必然性を理解していない。クラウドが誕生して20年となる2026年には、そうした企業はますます時代に取り残され、企業としての競争力の低下や企業自体の存続の危機につながる恐れがある。今、改めてクラウド活用の重要性を見直してほしい。
企業DX推進とデジタル人材育成に係る政策で
DXを推進する三つの取り組みを支援
情報処理推進機構(IPA)が2021年から毎年取りまとめている「DX白書2023」によると、アンケート調査による自己評価ではあるが、日本でDXに取り組んでいる企業の割合はこの1年で55.8%から69.3%と13.5ポイント増えている。一方で全社的なDXの取り組みは米国が68.1%であるのに対して日本は54.2%となっており、特定の部署や拠点といった部分的なDXへの取り組みは進んでいるが、全社的にDXを推進していくことが課題となっている。そこで全社的なDXを推進していくための三つの取り組みを紹介する。
全社的なDXを推進するために必要な
デジタル投資と人材育成に係る取り組み
全社的なDXの推進に向けて必要となる三つの取り組みとは、システムを全社的に共通化してデータ連携しデータドリブン経営をすることと、中期的なデジタル投資を評価する仕組みの確立、そしてDXを推進するデジタル人材の内製だ。
まず、システムへの取り組みについて、すでに「DXレポート」の「2025年の崖」で指摘されている通り、既存のレガシーシステムのモダナイゼーションがDXの皮切りとなる。
さらに、経済産業省でデジタルを利用するユーザー企業に向けた政策を担当する安藤尚貴氏は「データに基づく経営にするには運用するシステムを標準化・共通化して、全社的にデータ連携できていることがDXの経営基盤となります。ですからレガシーシステムを(モダンなシステムに)交換するだけではなく、システムを全社的に標準化・共通化するとともに、現場などから得られるデータを活用した付加価値創出に向けたビジネス変革にかじを切る必要があります」と指摘する。
また、デジタル人材は、実際にDXを進める人材も、旗を振る経営層の人材も、この両面で不足している。経営層の人材や経営の仕組みに係る課題について安藤氏は「既存システムの保守や部分的な生産性向上による短期的なコスト削減を超えた、ビジネス変革による付加価値の向上に向けたデジタル投資は効果が目に見えて現れるのに時間がかかるため、どうしても短期的に効果の出る投資を優先してしまうという課題もあります」と指摘する。
そして「デジタル投資によって経営にどうプラス要素が働くのかを見極めて、短期的な利益を超えて中期的に企業価値の向上につながるデジタル投資を実施すべきです」と指摘する。さらにこうした方針を社内に浸透させることも、全社的な取り組みを推進する上で重要となる。
DXを進める人材は社員をリスキリングさせてデジタル人材を内製する。ただし、デジタルのスキルを身に付けた人材が、そのスキルを発揮できる環境を整備し、デジタルの活用を通じて短期的なコスト削減などの成果だけではなく、付加価値の創出に結び付く成果を中長期的に評価する仕組みを整備した上で、社員にリスキリングさせるべきだ。
支援機関への支援を通じた
地域企業のDX推進政策
これら三つの取り組みを支援する政策について、経済産業省では企業DX推進政策とデジタル人材育成政策の両輪で取り組んでいる。企業DXの推進政策としてはすでに「デジタルガバナンス・コード」や「DX認定」および「DX銘柄」などが実施されている。
特にデジタルガバナンス・コードは、DXをどのように進めていけばいいのか分からないという企業が、改めて参照すべき「DX実践の手引き」である。デジタルガバナンス・コードでは、DXに取り組むに当たりビジョンの策定、それを実行するための社内体制や必要となる人材の確保、PDCAを回していく際のKPI・KGIの設定の必要性などが示されている。
さらに、中小企業向けには、中小企業庁が、デジタル化を中心とした経営状態の可視化、経営に役立つ情報の提供や専門家の紹介を行う「みらデジ」や、さまざまな経営課題解決のためのITツール導入を支援する「IT導入補助金」などを提供している。
IT導入補助金などの直接的な個社支援に加えて、今後は地域の支援機関を通じた地域企業のDX促進を強化していきたいという。具体的には地域金融機関や地域のITベンダーなどが支援機関となり、地域の中堅・中小企業などのDXへの取り組みを促進する構図だ。
その狙いについて安藤氏は「地域金融機関やITベンダーが地域企業のDXを支援することは、地域金融機関にとっては融資先の成長につながり、ITベンダーにとっては自社の利益につながります。DXは企業の経営改革そのものであり、顧客の本業支援そのものともいえると思います。支援機関の自社ビジネスにつながる支援ならば、支援が継続的に行われるという好循環も期待できます。支援機関の活動を活性化することで、地域の中堅・中小企業などのDXが進むことを期待しています」と説明する。
現在、有識者検討会において議論されており、支援機関が地域企業のDX支援をしている好事例などを参考にして、DX支援に関する考え方、支援機関におけるDX支援人材に必要となるスキルやマインド、支援機関同士の連携の在り方などをまとめたガイダンスを策定している最中で、今年春ごろの公表を目指しているという。
DX推進に必要な人材のスキルを定義
スキル習得に適した講座をひも付け
デジタル人材の育成に関する政策としては、例えば「デジタルスキル標準」が策定されている。中でも、「DX推進スキル標準」(DSS-P)はDXに必要な人材のスキルを定義したものだ。DSS-PではDXに必要な人材を「ビジネスアーキテクト」「データサイエンティスト」「サイバーセキュリティ」「ソフトウェアエンジニア」「デザイナー」の五つの人材類型に定義しており、さらにそれぞれに三つのロールが設定されている。
現在、大手企業を中心に、このDSS-Pのモデルをフレームワークにして、自社内の人材類型を六つに定義したり、各人材類型に対して4段階、5段階のスキルレベルを設定したりして、自社に合った形で人材像の定義や人材ポートフォリオの見える化が進められている。
DSS-Pを活用して人材ポートフォリオを見える化しつつ、不足する人材を確保するために社員にスキル習得を促すための支援策が「マナビDX(デラックス)」である。
マナビDXでは民間のデジタル系の講座をDSS-Pとひも付けて一元的に提示している。デジタル系の講座は市場で数多く提供されているが散在しているため、DSS-Pに準じたスキルをどの講座で学べばよいのか分からない。
そこでマナビDXには現在約580講座が登録されており、ここから習得したいスキルに適した講座が選べるメリットがある。また多数の講座が1カ所で比較できるため、教育ベンダー間の競争喚起にもつながり、講座の質の向上も期待できる。
今後のデジタル人材育成に向けた政策について安藤氏は「デジタル人材がどこでどのくらい不足しているのか、デジタル人材がどのくらいの報酬をもらっているのかといった基礎的な情報・データが不足しており、企業はデジタル人材の育成に踏み切れない、個人はデジタル系のリスキリングへの意欲が出ないという課題を把握しています。このような側面からの対応も考え始めています」と話をする。
“Invisible API Hell”と“システムのサイロ化”が
中堅・中小企業のクラウド活用の課題になる
IT市場専門の調査会社であり、特に中堅・中小企業にフォーカスした市場調査を行っているノークリサーチ。同社のシニアアナリスト 岩上由高氏が担当したさまざまな調査レポートの中から、特に中堅・中小企業におけるクラウド市場の動向を聞いた。
ノーコード/ローコードツールが
PaaS市場の拡大を後押し
ガートナーは、クラウドサービス登場から20年経過した2026年になっても「クラウドはまだ早い」とクラウドとオンプレミスの対立構造にこだわり、モダンなシステム構築を避けようとするユーザー企業の状況を「2026年問題」と定義し、警鐘を鳴らしている。
一方で中堅・中小企業では、大手企業と比較すると短期的な視点でIT活用の方向性を判断するため、クラウドに関連した問題もガートナーが指摘した2026年問題とは異なると岩上氏は語る。
岩上氏は中堅・中小企業のクラウド化の動向について、IaaS、SaaS、PaaSの視点からそれぞれ語ってくれた。まずはIaaSについて、岩上氏は「ユーザー企業がオンプレミス環境からクラウドに移行する上では、既存環境のリフト&シフトが求められます。一方でこの移行方法にはいくつかの種類があり、中堅・中小企業では『OSやミドルウェア、アプリケーションを変更せずにIaaSホスティングへ移設する』といういわゆるリホストの移行パターンの需要が最も高いことが分かりました」と指摘する。ユーザー企業にとっては、オンプレミスのシステム構成を極力変更しないことが望ましい一方で、既存のシステム構成を維持するだけでは、クラウドの利点を享受することは難しいという課題もある。
PaaSでは、ノーコード/ローコードツールが今後市場拡大を後押しする可能性があるという。ノーコード/ローコードツールは、もともとは新規の業務システム開発で使われることが多かった。しかし昨今では、従来業務部門などで使われてきたExcelのマクロで作成したシステムを、ノーコード/ローコードでアプリ化したいといったニーズが伸びてきているという。
「例えばサイボウズの『kintone』やマイクロソフトの『Power Apps』など、PaaSとして提供されているノーコード/ローコードツールを活用することで、業務の自動化を実現しようとするニーズがあります。実際、今後導入を予定しているノーコード/ローコードツールを中堅・中小企業を対象に調査したところ、首位がkintoneで、2位がPower Appsという結果でした」と岩上氏は指摘する。こうしたノーコード/ローコードツールの需要の高まりが、PaaS市場をドライブしていく可能性があるという。
求められるクラウド間の連携と
それによって生じる課題とは?
上記のノーコード/ローコードツールの需要の高まりは、SaaS市場にも影響を与えている。ノーコード/ローコードツールを使用する場面や用途のうち、2022年から2023年にかけて特に増加が予想されているのが「クラウドサービス間の連携」だ。例えばクラウドストレージとチャットツールをマイクロソフトの「Power Automate」を使って連携させるようなニーズが増えている。
岩上氏は「人事給与システムで求められる機能や特長を調査したところ『一つの製品やサービスに必要な機能が網羅されている』ことや、『SaaSのみで全ての要件を満たすことができる』ことなどが重視されていることが分かりました。今後はさまざまな機能を備えたSaaSのニーズが高まる可能性がありますが、単独のサービス事業者が全ての機能を網羅することは容易ではありません。そこで求められているのが、APIなどによるSaaS間の連携であり、こうした動きは今後増加が見込まれています」と指摘する。
一方で、こうしたAPIの連携にはリスクも潜んでいるという。それが「Invisible API Hell」と「システムのサイロ化」だ。
「Invisible API Hellは、旧来のWindows環境で発生していた『DLL Hell』のような問題がAPI連携の環境下かつ目に見えづらい状態で発生することを指します。DLL Hellは、複数のWindowsアプリケーションで共有しているDLL(Dynamic Link Library)がバージョン間の不整合によって、アプリの動作に支障を来すことを表していました。それになぞらえて、APIの仕様で発生し得る問題を、API Hellと呼ぶことがあります」と、岩上氏は説明する。
現在はAPI開発/利用を支援するツールやサービスも充実しているため、DLL Hellのようなバージョン間の不整合によるトラブルが発生する可能性は低いという。一方で、APIでSaaSにデータをインポートする際、そのデータがSaaS上で検索可能になるまで時間を要するといったケースもある。API連携自体には問題がなくても、「マスタデータをPaaSにインポートして、すぐに利用したい」などの業務要件への対応が難しくなるのだ。連携するクラウドサービスが増えれば、APIの仕様だけでは確認できない業務要件との不整合が発生する可能性が高まり、岩上氏はこの状態を「Invisible API Hell」(見えづらいAPI Hell)と呼び懸念している。
「Invisible API Hellは大企業、中堅・中小企業のいずれでも発生するリスクがありますが、大企業の場合は専任の情報システム部門が事前に綿密な連携テストを行うと思いますので、結果的に中堅・中小企業の方がInvisible API Hellが発生しやすいでしょう」と岩上氏。
サイロ化するシステムをどうつなげる?
SIerのサポートがさらに重要に
次にシステムのサイロ化だ。この問題は、特にノーコード/ローコードツールが普及し、活用が進むことで増加する可能性が指摘されている。ノーコード/ローコードによってアプリが開発しやすくなる一方で、そのアプリにデータが分散化することで、データのフォーマットや業務ルールが異なるような問題が発生する可能性がある。そうしたサイロ化された環境下でデータを連携しようとすると、誤発注やデータ漏えいといった、信用を失いかねないミスにつながるリスクがあるという。
「Invisible API Hellもシステムのサイロ化も、専任の情報システム部門を持たない中堅・中小企業で発生する可能性が高い問題です。裏を返せば、SIerのサポートによってこうした問題は解決できる可能性が高く、そこにビジネスチャンスがあるかもしれません」と岩上氏。
中小企業が今後クラウド化を進めていくに当たり、販売店に求められる支援について岩上氏は「ユーザー企業は『クラウドに移行する』ことが目的ではなく、『既存のシステム環境コストを抑える』ことを目的にクラウドを利用するケースがほとんどです。そこを履き違えてしまうとユーザー企業への提案にずれが生じるでしょう。例えば、オンプレミスとクラウドの連携についても、ユーザー企業は連携を目的としている訳ではなく、連携することによってビジネスをより便利にスムーズに進めたいというのが目的です。ユーザー企業の本当の目的をうまく見極めるため、SIerや販売パートナーはきちんとヒアリングをした上で、最適な提案をすることが重要になるでしょう」と指摘した。