シャインマスカット栽培の“匠の技”を継承

–Agri Tech–
山梨県

先端技術を活用することで、農作業を効率化したり、栽培技術の継承を行ったりできるスマート農業。“果樹王国”として知られる山梨県でも、特産品の栽培技術の継承を目指し、スマート農業に取り組んでいる。

新規就農者をどう育てる?

 果樹栽培に適した気候・風土の山梨県では、数多くの果物が生産されており、特にブドウ、桃は特産品として知られる。中でもブドウは栽培の歴史が古く、約1,300年前から山梨の地で作り始めたといわれており、栽培している品種も「巨峰」「ピオーネ」「シャインマスカット」「甲斐路」など多岐にわたる。特にシャインマスカットは、ブドウ品種の中では高値で取引され、ブドウ品種全体の約6割の売り上げを占めるという。

「取引価格が安定しているため、新規就農者の収入にもつながりやすい品種です。山梨県の年間新規就農者数は約300人いますが、その内果樹への就農が約7割と多いですね。一方で、品質の良いシャインマスカットを栽培するためには、さまざまな作業において熟練作業者のノウハウが必要となります。新規就農者が、すぐに高品質なシャインマスカットを生産できるようにはならないのです。また、熟練の作業者も高齢化が進んでおり、後継者不足が深刻化しています。これらの新規就農者の技術力向上と、後継者の育成という両側面の課題を解決するため、AIやローカル5G、スマートグラスを活用した技術継承の実証研究をスタートしました」と語るのは、山梨県農政部 農業技術課 技術指導監 熊王広之氏。

 本実証研究は、YSK e-comと山梨県、山梨大学、NEC、NTTドコモなど計8団体からなるコンソーシアムが実施している。実証研究では、AIとスマートグラスを組み合わせた作業指示によって、新規就農者(初心者)が育成初期から収穫までの育成作業を実施した。

高い秀品率を実現

「高品質なシャインマスカットを栽培するには、房作りや摘粒作業など長年の経験を持つ熟練作業者の“匠の技”が必要です。そこで今回の実証研究では、この匠の技をAIモデル化し、スマートグラスに作業指示を投映することで、初心者でも熟練の生産者と同等の農作業ができるよう、実証を進めました」と熊王氏は振り返る。

 シャインマスカット栽培の中でも、特に匠の技が求められる作業が「房作り」「摘粒」「適期収穫」の三つだ。例えば房作りは、ブドウ(シャインマスカット)の房を適正な大きさにするため、花穂を4〜4.5cmに仕上げる必要がある。熊王氏は「初心者の場合、この房作りで残す花穂が多かったり、少なかったりとまばらになりがちです。スマートグラス上にAR(拡張現実)で切除部を示すガイドマークを示すことで、初心者でも簡単に房作りが可能になりました」と語る。

 これらのAIとスマートグラスを組み合わせた「匠の技ソリューション」によって栽培されたシャインマスカットは、初心者が栽培したものも熟練の作業者と遜色がない秀品率(全体収量の中で良品が占める割合)であり、先端技術を活用することで、匠の技を新規就農者に継承できることが分かったという。

「果樹王国といえど、足下の担い手がいなければ立ちゆきません。山梨県としても、この匠の技ソリューションを用いて農家の方々をバックアップしていくため、実用化に向けての協力を今後も続けていきます」と熊王氏は語った。

1.シャインマスカットは山梨県の特産品として知られているが、農業従事者の高齢化が進み、栽培の技術継承が求められていた。そこで、先端技術を活用した今回の実証研究を実施した。
2.実証研究はローカル5Gが整備された山梨県果樹試験場で実施された。
3.熟練の作業者(匠)による摘粒作業の様子。
4.初心者は匠の作業データをも基に作成されたAIモデルによって、適切な粒の間引きを行う。スマートグラス上にAIによる指示がARで表示されるため、現実のブドウの房を見ながら、ガイドと照らし合わせて作業が行えるのだ。

先端技術を組み合わせたスマート農業実証プロジェクト

–Agri Tech–
YSK e-com

匠の技ソリューション

山梨県が抱える果樹栽培の課題を解決するべく実施された実証研究を主導したYSK e-com。同社に、本プロジェクトの狙いと匠の技の継承を実現した技術を聞いた。

産学官連携による取り組み

 山梨県甲府市に本社を置くYSK e-comは、自治体や製造・販売業などにITソリューションを提供するSI企業だ。同社は、高齢化により担い手不足が進む山梨県の果樹栽培の課題に対して、ITを活用した技術継承を実現するべく、スマート農業の実証研究に取り組んだ。

「本実証事業は、農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)による『スマート農業実証プロジェクト(ローカル5G)』に採択され、2020〜2021年の2年にわたって『高品質シャインマスカット生産のための匠の技の“見える化”技術の開発・実証』コンソーシアムとして実施しました」と語るのは、同社 常務取締役 山下善雄氏。本実証ではYSK e-comが代表機関を務め、プロジェクト管理やソリューション開発および構築を行った。先端技術をスマート農業に適応させる取り組みを行ったのは山梨大学で、同学教授の茅 暁陽氏や山梨大学 大学院 教授(当時は准教授)の西﨑博光氏の協力の下、熟練(匠)の作業者の動画データを学習させ、AIモデルの開発などに取り組んだ。また、ローカル5G基盤の構築をNECが、圃場環境データの計測をNTTドコモが担った。ほか、山梨県、フルーツ山梨農業協同組合(JAフルーツ山梨)、全国農業協同組合連合会山梨県本部(JA全農やまなし)などのバックアップを得ながら産官学が連携し、スマート農業実証プロジェクトに取り組んだ。

 今回の実証研究では、主にシャインマスカット栽培において“匠の技”が求められる「房作り」「摘粒」「適期収穫」といった育成作業をサポートする技術を、スマートグラスとAIを組み合わせた「匠の技ソリューション」として開発した。実証では新規就農者(初心者)を20〜30代、40〜50代、60代以上に分け、匠(熟練者)と共にそれぞれエリア分けされた区画で、育成初期から収穫までの作業を実施した。

房作りは、ガイドマーク(右)を基に切除する花穂を判断して切除していく。水色部分が切除部だ。
摘粒作業では、間引く粒を赤くマークすることで作業支援を行う。35粒を目標に間引きを行っていく。

形の良さが品質につながる

 房作りではブドウ(シャインマスカット)の房を適正な大きさに仕上げるため、余分な花穂を取り除く。その正確な切除部を初心者でも分かるようにするため、切除部を示すガイドマークをスマートグラスにARで表示して作業支援を行った。「新規就農者はこの最適な切除部を覚えるのが難しく、匠の域に至るまで何十年もかかります。実際に匠の技ソリューションで作業をしてもらうことで、40房程度の房作りが完了したころには、初心者も匠と同程度の作業時間で、正しく余分な花穂を切除できました」と山下氏。

 次に摘粒だ。この作業はブドウの粒一つ一つを大きく成長させるため、多すぎる粒を間引いていく。山梨県では35粒を目標に間引きを行う。山下氏は「匠の作業者は商品になった時のブドウの姿を思い浮かべながら間引きを行うのですが、経験の少ない初心者にはそれができません。匠の技ソリューションでは、摘粒する粒の色を変えてARでスマートグラス内に表示するため、初心者の作業者でも感覚的に作業が行えるようになりました」と語る。これらの作業は複数名の作業者が見た映像をサーバーに送り、その結果をそれぞれのスマートグラス上にARで表示するため、ローカル5Gの「高速大容量」「低遅延」「多数同時接続」といった特徴が有効に働いている。

 山梨県農政部の熊王広之氏は「この摘粒でブドウの形が決まるため、最も大切な作業です。シャインマスカットの場合、形が悪い物といい物では、Kg単価で500〜1,000円ほどの価格差が出ます。良い形のブドウを作ることは、農家の収入に直結するのです。しかしこの匠の技ソリューションをうまく使えば、初心者も匠の作業者と同等の質で摘粒ができるため、例えば一時雇用者や、近所の人に手伝ってもらうといった対応もできるようになりそうです」と可能性を語る。

匠と同等以上の品質に

 最後に適期収穫だ。山梨県ではシャインマスカットの適正な収穫時期を判断するため、5段階のカラーチャートを用意している。シャインマスカットの糖度は色と相関性があり、カラーチャートの3から4の色が適切な収穫時期となる。匠の技ソリューションではこのカラーチャート値を基準に、色値をスマートグラス内にAR表示して適切な収穫時期を判断できるようにした。実際に収穫したシャインマスカットを、前述した匠区画と初心者の年代別区画に分けて比較したところ、作業時間は匠と同等であり、秀品率や果実品質も匠と同等以上であることが確認された。

 山梨県のシャインマスカット栽培において大きな成果を上げたといえる匠の技ソリューションだが、課題も残った。両手が使えるため農作業に適しているスマートグラスだが、2020年度の実証で使ったエプソンの「BT-2000」や、2021年度の実証で使ったマイクロソフトの「HoloLens 2」はスマートグラス本体が重く、長時間の農作業で装着して使用するには負担が大きいのだ。また屋内作業向けに開発されたデバイスのため、夏場の屋外作業時に熱暴走してしまったこともあったという。山下氏は「他社の軽量なスマートグラスも検討・検証を行いましたが、屋外の農作業にはいずれも不向きでした。また、実用性の高いスマートグラスは高価であるケースが多く、農家の方が購入するのは難しいのが現状です」と指摘する。自治体やJAが購入し、必要に応じてレンタルする運用も検討したが、必要となる時期が重なるため難しい。AIのサーバー費用もかかるため、社会実装を進めていくにはハードルが多いのが現状だ。

「現在は山梨大学が中心となり、AIの高度化に取り組んでいます。当社では現在、山梨県と一緒にデータ農業に取り組んでおり、経験や勘であった“匠の技”を数値化して見える化することで、品質を維持しながら収穫量を増やすことを目標に、取り組みを進めています」と山下氏は語った。

収穫作業ではスマートグラスに表示される色値の参照と共に、キャリブレーションとして爪シールを用いることで精度の向上を図った。
初心者の年代と匠による区分で収穫したシャインマスカットを見比べてみても、どれも遜色なく収穫できたことが分かる。

画像提供:YSK e-com