富士通が量子コンピューターの研究開発をスタートしたのは2020年ごろのことだ。米Googleが2019年10月に発表した「量子超越性」を契機に本格的な研究開発に着手しており、業界としては後発の部類といえる。しかし、同社が従来から持っていた技術力を生かし、世界最大級となる256量子ビット超伝導量子コンピューターを開発するなど、現在はハードウェアとソフトウェアの両側面から量子コンピューターの研究開発をけん引する存在だ。その同社が目指す量子コンピューターの社会実装に向けた取り組みを見ていこう。

従来の技術力を量子に生かす

富士通
富士通研究所 量子研究所
シニアディレクター
近藤正雄
横にあるのは本企画扉ページでも掲載している64量子ビットの超伝導量子コンピューターの実寸大模型。細部まで本物と同一になるよう再現されている。

 富士通は、世界最高峰のスーパーコンピューター「富岳」を理化学研究所(以下、理研)と開発し、最先端の技術によって社会の幅広い課題解決に貢献してきた。そのスーパーコンピューターのプロセッサーの設計技術や、半導体技術などを生かし、現在注力しているのが量子コンピューターの研究開発だ。同社はこれまで蓄積してきた技術力を生かし、量子デバイス(ハードウェア)から量子プラットフォーム、量子基盤ソフトウェア、量子アプリケーションの全レイヤーで、研究施設や企業と連携しながら量子コンピューティング開発に取り組んでいる。

 その連携先の一つが前述した理研だ。富士通は、理研と2021年に「理研RQC-富士通連携センター」(以下、連携センター)を共同で設立し、超伝導量子コンピューターの実用化に向けた研究開発を行っている。2023年10月5日は、連携センターにおいて64量子ビットの超伝導量子コンピューターを開発した。本超伝導量子コンピューターは国産2号機に位置付けられる。2025年4月22日には、同連携センターにおいて、256量子ビットの超伝導量子コンピューターを開発した。新たに高密度実装技術などを開発し、64量子ビット機と同じサイズの希釈冷凍機(いわゆる量子シャンデリア)を使用しながらも、4倍の量子ビットの実装密度を実現している。さらに富士通では、2026年度中に1,024量子ビットの超伝導量子コンピューター公開も予定している。

 富士通では、理研以外にも多様な研究機関、大学、企業との連携を行い、量子コンピューターの実装に向けた取り組みを進めている。量子ハードウェアの分野では、前述した理研との超伝導方式に加え、オランダのデルフト工科大学と共に、ダイヤモンドスピン方式の研究に取り組んでいる。富士通 富士通研究所 量子研究所 シニアディレクター 近藤正雄氏は「量子コンピューターのハードウェア方式はさまざまあり、現時点ではどのハードウェア方式が最も有望なのかは分かりません。その中でも当社は、現状最も量子ビットを実装可能な超伝導方式と、光を用いた信号による結合で、量子ビット数を増やしていくことができるダイヤモンドスピン方式の二つにフォーカスし、研究に取り組んでいます。量子プラットフォームの分野では、大阪大学と『Open Quantum Toolchain for Operators and Users』(OQTOPUS)という量子研究者向けクラウドプラットフォームを開発し、オープンソース化しています。また大阪大学とは『STARアーキテクチャ』の研究開発にも取り組んでいます」と語る。

企業と連携したユースケース発掘

 STARアーキテクチャとは、量子ゲートの実行レベルから見直すことで、必要な計算資源(量子ビット数や演算回数)を削減し、より小規模な量子コンピューターでも実用的な計算を可能にする技術だ。従来の量子コンピューターでは誤り訂正が不可欠であり、誤り訂正を行いながら大規模な量子計算を実行するためには、一般的に100万量子ビット規模が必要と試算されている。しかし、STARアーキテクチャを用いることで、誤り訂正に必要な物理量子ビット数を大幅に削減できる可能性がある。これにより、100万量子ビット級の実現を待たずとも、特定の問題においては既存のスーパーコンピューターでは困難な計算をより高速に実行できる可能性があると考えられている。

 また量子アプリケーションの分野では、企業や大学と共同でユースケースを想定した研究開発に取り組んでいる。例えば創薬の分野では、効果が高く副作用の小さい薬の実現に向けて、三菱ケミカルと共同で量子技術によるブレイクスルーの探究に取り組んでいる。「創薬分野においては、多様な材料を合成して特性を調べ、分析するような作業を行いますが、これには資金も時間もかかります。しかし1,000個ある材料候補を量子コンピューターの計算によって100個に絞れれば、研究開発は非常に効率化できます」と近藤氏は語る。また金融や製造分野でも企業や大学との共同研究が進められており、量子コンピューターによるユースケースの発掘に取り組んでいる。

 こうした量子コンピューターのユースケースの中には、すでに実用化が近いものもあるのだろうか。近藤氏は「現在の量子コンピューターのハードウェアは、まだ誤り訂正の技術が確立されておらず実用的なモデルの計算を行うのは力不足です。しかし、将来的に実用的な量子コンピューターが出現した場合、材料や創薬といった量子力学を使って計算するような分野は、最初に実用化が期待できるでしょう」と語る。

超伝導量子コンピューターは、量子シャンデリアと呼ばれる希釈冷凍機の内部にあるチップの量子ビットの状態を操作して計算を実行する。チップはこの量子シャンデリアの先端にある。

オール国産技術の量子コンピューターへ

 量子コンピューターの技術が進展することで、既存のスーパーコンピューターの計算速度を超えることが予想される。そうした中で、既存のスーパーコンピューターの立ち位置はどのように変わるのだろうか。近藤氏は「量子コンピューターは確かに新しいコンピューター技術ですが、既存のスーパーコンピューターを置き換える存在とは捉えていません。量子コンピューターとスーパーコンピューターには、それぞれ得意分野があります。例えば組み合わせ最適化問題などは、組み合わせ数が増えてしまうと計算量が膨大になり、スーパーコンピューターでは有限の時間で解くことができない場合があります。そうした膨大な計算を効率的に解けるのが量子コンピューターです。従来コンピューターでは計算が爆発してしまう問題を量子コンピューターが効率的に解き、従来コンピューターが得意な部分は従来コンピューターで計算するハイブリッドシステムとして実用化されると考えています。また量子コンピューターとスーパーコンピューターに、さらにAIを連携させるワークフローを実現することで、より高効率な触媒材料の開発を行ったり、金融ポートフォリオの最適化を行ったりする例もあります」と語る。富士通はスーパーコンピューターの技術と量子コンピューターの技術の両方を持つため、こうしたそれぞれの先端技術を組み合わせた研究開発を行える点が強みといえるだろう。

 富士通は新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の「ポスト5G情報通信システム基盤強化研究開発事業」の「量子コンピューターの産業化に向けた開発の加速」に採択され、2030年度までに1万物理量子ビット超の超伝導量子コンピューターの実現を目指している。近藤氏は「STARアーキテクチャによる実用的な量子計算に必要な量子ビット数削減と、実際に実装される量子ビット数をマッチさせて、2030年ごろに実用的な量子コンピューターを実現したいと考えています。非常にチャレンジングですが、世界に先駆けて量子コンピューターを使った実用計算を日本企業として実現したいと思っています。一方で課題もあります。最大の課題は量子ビット数が多くなると、それを冷やすための希釈冷凍機が大きくなる事です。1,024量子ビットコンピューターを10台並べれば理論上1万量子ビットになりますが、システム規模が大きくなりすぎて、開発費用もかかります。なるべく小さい冷凍機システムで実現することが技術的なポイントです。また、量子ビットを制御するための制御装置は外販品を導入していますが、これらの周辺設備の進化も重要です。こういった周辺設備も含めたエコシステムとしての技術向上や、将来的なサプライチェーンを考慮した国産メーカーとの連携も重視しており、将来的にはオール国産技術を用いた量子コンピューターの実現を目指していきたいと考えています」と展望を語った。

富士通は2025年秋に武蔵中原の本店に量子棟を建設した。1,024量子ビットの超伝導量子コンピューターはこの量子棟に設置する予定だ。