現役産業医(精神科医)に聞く
メンタル失調者を出さないための対策と
メンタル失調による休職者への正しい対処法

Part2 産業医の視点から

長期化するテレワークによって社員のメンタルヘルス失調が深刻化している。そこで社員の健康を最も身近で見守る現役の産業医に、メンタルヘルス失調者を出さないための対策と、メンタルヘルス失調による休職者への対処について、企業がどのような対応をするべきなのかをアドバイスしてもらう。医師になる前に企業で社員として働いていた経験を持ち、企業におけるメンタルヘルス問題に関する著書もある精神科医で産業医も務めるVISION PARTNER メンタルクリニック四谷 院長 尾林誉史氏に話を伺った。

企業社員から産業医へ転身
メンタル問題の現場を理解

VISION PARTNER 代表
VISION PARTNER メンタルクリニック四谷 院長
精神科医/産業医
尾林誉史 氏

 まず尾林誉史氏が産業医を務めるようになった経緯を紹介したい。というのも尾林氏は最初から医師を目指したわけではなく、企業の社員として働く中で同僚をはじめ社内外のメンタルヘルス問題に多数遭遇し、当時の実情を知って精神科医として産業医を目指すことを決意した。つまり仕事の現場を自ら体験し、働く人が置かれた状況や気持ちが理解できる、テレワークによるメンタルヘルス問題が深刻化する企業とその社員にとって心強い存在なのだ。

 尾林氏は東京大学理学部化学科を卒業後、リクルートに入社して新規事業の営業を担当する。その後も部署を異動しながらリクルートで働き続け、ある日、メンタルを失調した同僚の産業医面談に同席した。尾林氏は産業医の対応に期待していたが、実際は事務的な面談内容で終了してしまったという。

 同僚が今後の希望を見いだせない状況に疑問を感じ、後日、その産業医を訪問して話を聞いたところ、「産業医とはこういうものだ」という趣旨の回答に落胆した。そこで尾林氏は一念発起してリクルートを退社し、わずか半年後に弘前大学医学部に学士編入した。その後、東京都立松沢病院や道ノ尾病院(長崎市)といった精神科病院での研修を経て、東京大学医学部附属病院精神神経科に所属しながら、昨年「VISION PARTNER メンタルクリニック四谷」を開業し、院長および代表を務めている。

 コロナ禍以前も仕事の現場で数多くのメンタル失調者を見てきた尾林氏だが、テレワークが長期化する中でその数が増えていることを実感しているという。尾林氏は「当院を開業した昨年は外出を控えて自宅で過ごす人が多かったため実態が分かりづらかったのですが、今年に入ってメンタルヘルスに関する相談や、来院する患者さんが増えています」と語る。

 またメンタルに不調を感じても周囲を気にして産業医に相談しなかったり、病院に行かなかったりする人が少なくない上に、中小企業には産業医を選任する義務がないなど、潜在的な患者はかなり多いのではないかとも指摘する。

 メンタル失調に陥る患者の原因はさまざまと前置きしながらも、テレワークが長期化してさまざまな不安が消えず、人によってはうつの症状が出ているケースもあると説明する。そして「テレワークでは対面で話ができず、オフィスでは日常的にできていた『たわいもない話』が一切できなくなったことが共通の原因だと言えます」と指摘する。

 テレワーク環境でも映像と音声を用いたリモート会議が頻繁に行われており、対面に近い状況でコミュニケーションができる。しかしその際のコミュニケーションでは、生産性や重要性の点で無用な会話がシャットアウトされ、会議やミーティング等のテーマに対して必要なことのみ、要件だけのやりとりに終始してしまう。確かに効率はいいが「遊び」という名の「ゆとり」が全くない。

新卒社員のメンタル問題が深刻
悩む側も見守る側も途方に暮れる

 企業側もオンラインの効率と引き換えに、失ってしまったコミュニケーションにおける無駄なおしゃべりや心のゆとりを取り戻さないと、かえって仕事が潤滑に進まないことに気付き始めているようだ。

 もともとオンラインで働くことに親和性のある仕事や、オンラインで仕事をすることが好きな人もいるわけだが、これらを除外してもテレワークを原因とする精神的な負担やデメリットを感じている人は多くいることに変わりはない。特に新卒や第二新卒の社員にメンタルヘルスの問題が生じやすいという。

 尾林氏は「企業では対面のコミュニケーションで仕事をしてきて、コロナ禍からリモートで働くようになった社員がほとんどだと思いますが、新卒や第二新卒の社員は入社してから研修も実務も全てオンラインです。学生生活もオンライン授業でずっと登校しないまま、オンラインで入社試験を受けて、そのままオンラインで働いている社員も少なくないでしょう。こうしたオンラインが長期にわたって続いている若手の社員の方々がメンタルを失調してしまうケースが増えています。かわいそうとしか言いようがありません」と険しい顔で説明する。

 既存の多くの社員は対面でのコミュニケーションを通じて社内の関係が築かれており、その延長線上でオンラインになっているためコミュニケーションしやすい。しかし新卒の社員はほとんどの同僚や先輩、上司と実際に会っておらず、よく知らない人とオンラインで仕事をすることを強いられている。尾林氏の産業医先のある企業では、新卒のうち約3割がメンタル失調か退職かという深刻な状況に陥っているという。

 実際にメンタル不調を訴える社員と面談すると「社内の連帯感が全く感じられない」「先輩や同僚がどういう人物なのか勘所もつかめずコミュニケーションがしづらい」など、一人ひとりが孤立感しか感じられない状況だと指摘する。

 尾林氏は「私は産業医として、精神科医として患者本人が悩んだ末にどうしたいのかという意思を尊重し、本人がなりたいと思う状況にたどり着くお手伝いをすることが使命です。しかし現在の実情は、本人なりの正解も見出せず、本人も何に悩んでいるのか分からず、本人なりの結論にたどり着くことができないのです。悩む側も見守る側も、ともに立ちすくんでいる状況で、世の中が不安定、不確実すぎて希望も展望も見えないのです」と説明する。

産業医に精神科医を選任すべき
休職期間中こそ面談を徹底する

尾林誉史氏、木下翔太郎氏、堤 多可弘氏の共著である『企業はメンタルヘルスとどう向き合うか 経営戦略としての産業医』(祥伝社新書)では社員のメンタルヘルスの維持・増進は企業経営の最重要テーマであり、経営戦略の一環として産業医を活用するべきだと説いている。このほか尾林誉史氏の著書は出版予定を含めて数冊ある。

 企業においてメンタルヘルス問題が顕著化しており、対策を講じなければ深刻化することは明らかである。ではメンタルヘルス失調者への対処と、メンタルヘルス失調者を出さない対策において、企業はどのように対応すべきなのだろうか。

 まずメンタルヘルス失調者への対処について尾林氏は「できるだけ早く産業医に相談させるか、病院に行かせてほしい」とアドバイスする。しかし前述の通り産業医に相談したり病院に通院したりすることを周囲に知られたくないために、行動しない人も少なくない。

 尾林氏は「人に知られずに産業医に相談できるオンラインの窓口を提供するのも一つの手です。社員が病を患っていることを把握するには産業医に相談することから始まりますので、産業医に相談しやすい環境や手段を提供することが大切です。産業医を選任していない中小企業も今後は産業医の選任を検討すべきですし、それが難しいならば社員が気軽に相談できるクリニックを用意しておくといいでしょう。ちなみに当院(VISION PARTNER メンタルクリニック四谷)も、企業で働く人たちが気軽に相談できる場所としてご案内させていただいています」と説明する。

 そして産業医の専門やクリニックの診療科に留意すべきだともアドバイスする。多くの企業において社員の健康問題となっているのはメンタルヘルスだ。そのためメンタルヘルス疾患に対処できる産業医やクリニックでなければ、症状の改善を望みにくい。尾林氏は「病には身体と心の両方がありますので、例えば高血圧や糖尿病といった生活習慣病への対処ならば内科医が適任です。しかしメンタルヘルス疾患には精神科医や心療内科医の知見が必要となります。大企業でしたら内科医と精神科医あるいは心療内科医の両方を選任すべきですが、予算が限られている企業では現在の実情を鑑みると精神科医または心療内科医を選任する方が社員に喜ばれると思います」とアドバイスする。

 また不幸にもメンタルヘルス失調で休職者を出してしまった場合の対処についても次のようにアドバイスする。尾林氏は「休職を命じるのも、復職を認定するのも産業医や医師の重要な役割となります。しかし休職を命じた後、ただ休ませるだけでは症状は改善しません。休職期間中こそ産業医や医師が本人としっかり面談して、どのように過ごすべきなのかをアドバイスする必要があります。また症状がどのように変化しているのかを逐次把握しながら、復職を認定する際には医師として根拠を示す必要があります。もちろん本人が少しでもメンタルヘルス失調を感じた時から面談を始めて継続することが理想ですが、休職期間中の面談は主治医がより効果的な治療をするためにもとても重要なことなのです。休職期間中に面談もせずに復職を認定するのは非常に危険です。主治医が復職してもいいと言っているから認定するというならば、主治医ではなく人事が認定してもいいということになってしまいます」と強く語る。

 そして「多くの企業では休職期間に期限があります。その期限内に回復しない場合、経済的な不安から患者は無理をして復職して、症状をさらに悪化させてしまうケースも少なくありません。社員は企業にとって最も重要な資産なのですから、回復するまでしっかりと治療できる時間を与えて欲しいです。そもそも社員がメンタルヘルスを失調した原因は仕事にあるのですから、治療の責任は会社にもあるのです」と訴える。

マネージャーの無意識な圧力に注意
途中の成果を認めて連帯感を醸成

 メンタルヘルス失調者を出さないために企業が取り組むべき対策はあるのだろうか。メンタルヘルスを失調する理由として「チームや会社に自分は役立っているのかが分わからない」や「ほめてもらえない」が上位に挙げられるという。そうした疑問が徐々に大きくなり、結果を出すことに焦りを感じていく。そうして仕事を自身で抱え込んでしまい、作業量の増加と時間の不足に押しつぶされ、最終的に「何のために働いているのか」「誰のために仕事をしているのか」「一生懸命やっているのに誰も評価してくれない」という感情に支配されて、症状が一気に重症化するという。

 こうしたパターンではマネジメントの問題が指摘される。一般的にテレワーク環境ではメンバーの行動や表情が分からないためマネジメントが難しいと言われる。しかし一方で数字としての仕事の管理はしやすくなっている。マネージャーは「これくらいの納期でこれくらいの仕事はできるはず」と数字で算段し、メンバーに対して一方的に「できるはず」という圧力をかけてしまうことになる。

 尾林氏は「マネージャーはメンバーの予定と成果だけを数字で見て管理しやすい、成果を出しやすいと勘違いして、結果的にマネジメント側のアクセルがすごく強くなってしまいます。一方のメンバー側は数値管理されて働きがいがうやむやにされてしまい、誰のために働いているのか、何のための仕事をしているのかといった葛藤を持ちながら時間に追われて働いています。このマネージャーとメンバーの溝が深くならないように、マネージャーはメンバーの一人ひとりに声をかけることが大切です」と指摘する。

 尾林氏は承認欲求が強い人もいるので注意は必要だと前置きしながら、メンバーの仕事の進捗や成果だけを確認するのではなく、要所要所で「ここまではできているね」「次はこれを進めていこうね」という具合に声をかけてメンバーの現状の成果を認めるとともに、次の作業は何であるかをマネージャーも気にかけて見てくれているという安心感を与えることで、チームとしての連帯感を醸成することが効果的であるとアドバイスする。

 ただし「声掛け」をする際は対面が理想であるが、リモートならば映像と音声でお互いの表情が分かる手段でコミュニケーションして欲しいという。また少なくとも電話で話すべきであり、絶対にメールやチャットで話をしてはいけないともアドバイスする。

 尾林氏は「テキストでも情報は伝わりますが、感情は伝わりません。同じ言葉をかけるにしてもテキストは非常に危険で、マネージャー側は気軽に書いた内容であっても、受け手側は甚大に捉えてしまうからです。仮にテキストで叱ったり注意したりすると、受け手側は軽んじられている気持ちになり、自分は必要のない存在なのだと受け取ってしまいます」と説明する。

個人で今すぐできるアドバイス
メンタルヘルスケアで企業価値が向上

 個人で今すぐに始められるメンタルヘルス失調を防ぐ対策についてもアドバイスをもらった。まず次の状況を想像してほしい。

 上記のような状況であなたはどのようなことを考えるだろうか。筆者は「何かAさんに悪いことをしてしまったのか」と不安になるだろう。こう考えてしまうと次にAさんを見かけても、また無視されるのが怖くて声を掛けづらくなってしまうことだろう。そうしてAさんが挨拶に応えなかった真の理由も分からないうちに、Aさんとの距離が勝手に遠くなってしまう。いわゆる負の連鎖だ。

 では尾林氏に解答を伺うことにしよう。実は解答はないのだが、尾林氏は「例えば、「まあいいや、昼にまた声を掛けけよう」とか「あれ、気付かなかった」で済ませればいいのです。いちいち勘ぐらないで、深い理由はないと理解するのです。これくらいの瞬発力で物事をテンポよくやり過ごしていけば、メンタルへの負担を軽減できます」と解説する。

 そして最後に「メンタルケアへの予算を取らない企業が多い」と指摘し、「企業にとって事業の継続や利益の追求に社員が不可欠なはずです。少子高齢化が進み生産年齢人口が減少を続けていく中で、社員のメンタルヘルスの問題を企業が放置し続けると、企業という規模だけではなく国という規模でも衰退が危惧されます。消費者も労働者の一人ですから、今後は社員のメンタルヘルスへの対処が悪い企業に対して評価が下がり、良い企業への評価が上がるといった企業価値への影響も大きくなるでしょう」と警鐘を鳴らす。