インテルの日本法人は、1976年の設立から50周年を迎えた。
東京都内で開催された記念式典には、国内外のPCメーカー、ソフトウェア企業、通信・クラウド事業者、ディストリビューター、リセラー、ユーザー企業、政府・自治体関係者など約400人が出席した。
式典では日本の顧客、パートナー、サプライヤー、研究・教育機関、政府、地域社会と築いてきた半世紀の協業を回顧。
日本が単なる販売市場ではなく、製品、ブランド、材料、製造、サプライチェーン、ネットワーク、先端研究を通じてインテルの発展を形作ってきた重要なイノベーション拠点であることが強調された。
AI時代と次世代コンピューティングを見据え、日本と共創する次の50年への新たな出発点を示す式典となった。
「Intel 4004」も「Intel Inside」も
日本との共創から生まれた

開会の挨拶に登壇したインテル 代表取締役社長 大野 誠氏は、日本法人が設立50周年を迎えられたのは、パートナー企業、ユーザー企業、政府・自治体などとの「つながり」や「縁」があったからだとして、関係者への感謝を述べた。
続いて、この式典に出席するために来日したインテル コーポレーション CEO リップブー・タン氏が登壇した。タン氏は、日本法人の50周年をインテルにとって極めて重要な節目と位置付けた。インテル自体の歴史が約58年である中、日本法人は設立から50年を迎えており、創業者が早い段階から日本を重要市場であると同時に、会社を築く上で重要な国と見ていたことを強調した。
日本はインテルが早期に進出した市場の一つであり、マイクロプロセッサーとCPUの黎明期、ラップトップPCの登場、パッケージング、ファクトリーオートメーションなど、多方面でインテルの発展を支えたと語った。
また、世界的なブランドキャンペーン「Intel Inside」は日本で使われていた「インテル入ってる(Intel in it)」を起点として生まれたことが紹介された。完成品の内部にあり、通常は消費者から見えない半導体の価値を可視化したこの取り組みは、日本法人がグローバル戦略に影響を与えた象徴として位置付けられた。
日本を「市場」だけでなく
「共創拠点」として位置付け

タン氏は、日本を単なる「市場」ではなく、インテルの製品、ブランド、製造技術、供給網を形作ってきた「共創拠点」と位置付けていると語った。次世代AIでは、高密度な集積を実現する先端パッケージングの重要性がさらに高まる。そのため基板ベンダーやパートナーとの協力を最優先課題の一つに挙げた。日本の有機基板分野におけるイノベーションは現在の先端パッケージング技術を支え、ファクトリーオートメーション分野での日本のリーダーシップは、世界の半導体サプライチェーンを日々支えていると説明した。
AIがコンピューティング、製造、社会全体に新たな機会をもたらす中、日本とのパートナーシップを一層深め、次の50年にわたって日本の技術革新に貢献するとともに、日本企業との提携を継続的に拡大する考えを表明した。
日本のイノベーションが
世界のデジタル化を支えた

日本政府から経済産業省 商務情報政策局長 門松 貴氏が登壇した。1976年の日本法人設立以来、インテルが世界の半導体産業をけん引し、日本の企業、研究機関、政府との強固なパートナーシップを築いてきたことを評価した。
日本企業との協業から生まれた世界初の商用マイクロプロセッサー「Intel 4004」や世界初のノートPC、有機基板技術、製造自動化を支える日本企業などを挙げ、日本のイノベーションがインテルの成長と世界のデジタル化を支えたことを強調した。
また、AIによって社会と産業が大きく変化する中、半導体は経済成長、技術革新、経済安全保障を支える基盤技術であり、自動運転やAIロボティクスの社会実装に伴って重要性が一段と高まると指摘した。
さらに、先端半導体に不可欠な分野でインテルと日本企業が共同研究を進めていることに触れ、日本政府として、こうした共同研究を支援していく意向を示した。

米国政府から駐日米国大使 ジョージ・E・グラス氏がビデオメッセージで祝辞を述べた。グラス氏は、インテルが創業からわずか8年後に日本で事業基盤を築き、その後の日米の協働、イノベーション、成功の共有につなげてきたと評価した。そして日本におけるインテルの歴史は、可能性の限界を押し広げ、より良いものを築こうとする二つの先駆的国家の物語でもあると語った。
日本の電卓メーカーからの依頼を契機に世界初の汎用マイクロプロセッサーが生まれた歴史から、シリコン量子チップ、データセンター向けAIアクセラレーターに至る進化を紹介し、インテルはコンピューティングと半導体産業の次代を形作る重要な存在だと強調し、日米のパートナーシップは困難に立ち向かうことで強まり、進歩と繁栄をもたらすとのメッセージで締めくくった。
製品とテクノロジーがユーザーを支え
ビジネスがパートナーを育てた

ユーザー企業を代表して登壇した楽天グループ 代表取締役会長 兼 社長 最高執行役員 三木谷浩史氏は、楽天の約30年の成長はインテルのプロセッサーなしには実現できなかったと振り返った。
1997年5月に13店舗で始まった楽天市場から、ショッピング、旅行、クレジットカード、銀行、証券などへ事業を拡大できた背景には、インターネットの普及とムーアの法則に沿った半導体性能の向上という二つの大きな前提があったと説明した。
通信事業への参入にあたり、ネットワークのオープン化と完全仮想化を掲げ、無線アクセスネットワークにオープンな仕様を採り入れるO-RAN(オープン無線アクセスネットワーク)に挑戦した。当初は実現性を疑問視する声が強かったが、インテルが協力し、ネットワーク仮想化技術の実現を支えてくれたと感謝を示した。今後もインテルの技術を基盤に、誰もが低価格で利用でき、高速で、場所を問わずつながるネットワークを、オープンなアーキテクチャーによって構築したいと語った。

パートナー企業を代表して登壇した富士フイルムホールディングス 代表取締役社長 CEO 後藤禎一氏は、インテルが日本での販売・マーケティングを担うだけでなく、技術交流のハブ、サプライチェーンの要として機能してきたと評価した。早い段階から日本との連携を重視した判断が、国内市場と日本企業との密接な関係を育てたと語った。
富士フイルムとインテルの取引は1980年代、半導体材料を収めたわずか1本のドラムの納入から始まった。その後、米国、欧州、イスラエル、アジアへ広がった。現在では先端材料と先端半導体製造技術を共に生み出すグローバルなパートナーシップに発展しているという。
後藤氏は、インテルとの取引が世界最高水準の品質、スピード、サプライヤー責任を学ぶ機会となり、富士フイルム自身を強くしたと総括した。そのエピソードとして、米国で原材料の品質異常が発生した際の対応が紹介された。両社は週末にもかかわらず共同チームを組み、東海岸にあるサプライヤーの工場で原因を究明した。さらに生産を止めずに原料を西海岸へ運ぶために、「HOT TRAIN」と呼ばれる特別な貨物列車を手配して最優先で輸送し、生産への重大な影響を回避したという。この経験を契機に、富士フイルムは上流サプライヤーを含む供給網管理を大幅に見直した。後藤氏は、「インテルは顧客であるだけでなく、自社を鍛えたパートナーであり“師匠”でもある」と語った。
インテルの一人ひとりに
「Japan Inside」が築かれた

式典の中締めとしてステージ上で鏡開きが行われた。それに先立ちインテル コーポレーション 副社長 兼 APJ(アジア太平洋・日本)地域統括責任者 サントッシュ・ビスワナサン氏が挨拶した。
ビスワナサン氏は、日本から生まれたのは「Intel Inside」だけではなく、長年の協業を通じてインテルの一人ひとりの内側にも「Japan Inside」が築かれたと表現した。この言葉には日本発の発想や厳しい品質要求、協力して問題を解決する文化が、インテルの競争力を形作る一部になっているという意味が込められている。

続いて、乾杯の音頭を自民党 半導体戦略推進議員連盟 名誉会長 甘利 明氏が取った。甘利氏は自身の世代にとって、インテルは半導体の代名詞だと語る一方、半導体産業では今日の首位が明日の首位を保証するものではないと指摘した。そして技術革新を先取りし続ける緊張感を失わず、復活の途上にあるインテルの実力を確かなものにしてほしいと激励した。
式典で語られた歴史と会場で紹介されたショーケースを通じて浮かび上がったのは、AI時代の競争力がCPUやGPUの性能だけで決まるものではないということだ。NPUを備えたAI PC、エッジ、データセンター、先端製造プロセス、オープンなソフトウェア、そして多様なパートナーを含むエコシステム全体が、AIの社会実装を支える。
その中で日本企業には素材、製造装置、基板、ファクトリーオートメーション、PC、通信、AIソフトウェア、ロボティクスなど、世界のAI基盤を構成する幅広い事業機会がある。オンデバイスAIとフィジカルAIの広がりは、インテルのコンピューティング基盤がもたらす価値を、個人の生産性向上にとどめず、ロボット制御、教育、製造など、さまざまな現場へと拡張していく可能性を示していた。




