甲斐雄一郎さん

株式会社農情人 代表取締役 / Metagri研究所 所長。
広島県福山市の米農家の家系に生まれる。横浜国立大学電子情報工学科を卒業後、英国マンチェスター大学大学院で農村開発学修士号を取得。カンボジアのNPO法人で半年間インターンとして働き、農村の工房で販売管理システムの構築を担当。その後、日本国内、東南アジアなどでの植物工場の立ち上げや、大手コンサルティングファームでのITコンサルタントを経験した後、2021年8月に株式会社農情人を設立。主な著書に『シンNFT戦略』『Copilotがよくわかる本』などがある。
https://noujoujin.com/

最先端技術で農業の変革に挑戦

──株式会社農情人は、どのような会社なのか教えてください。

甲斐 株式会社農情人は、2021年8月に設立した企業で、「農業×情報×人材」をキーワードに異業種人材を巻き込みながら、最先端技術によって農業の変革に挑戦する事業を行っています。

農情人を起業したきっかけは大きく2つあります。

1つ目は、大学2年生の夏休みに参加した、タイ・チェンライでのスタディツアーです。チェンライでホームステイした際、農村の暮らしの豊かさを感じる一方で、10代の若い女性が都市へ出稼ぎに出ている現実にも直面し、「農村で暮らしながら稼げる仕組みを作れないか」と考えるようになりました。これが、私が農業を土台に社会課題を捉える原点になっています。

2つ目は、念願かなってタイ駐在でイチゴ生産の立ち上げに携われたものの、コロナ禍でタイと日本が行き来できなくなったことです。2020年3月に日本に一時帰国中に新型コロナの影響でタイ政府のロックダウンが始まり、タイ行きの飛行機便をキャンセルせざるを得なくなりました。その後はリモートで支援を続けましたが、現地に戻る見通しが立たない中で、「本当に自分がやりたいことは何か」を見つめ直し、日本で独立する決断をしました。

その結果、日本農業が抱える課題に対して、ITやAIなどの技術を用いて“現場で使える形”にして届ける会社として、株式会社農情人を立ち上げました。社名には、「農業」に「情報技術」を掛け合わせ、異業種の「人材」をつなぐという意味を込めています。

農情人のホームページ
株式会社農情人のホームページ。

──農業コンサルタントとして、具体的にはどのような活動をされているのでしょうか。

甲斐 結論からいうと、農業ベースでは収益を得られていないというのが正直なところです。農家からはいろいろなお問い合わせをいただくのですが、お金をもらわずにやっています。例えば、最近だと有機栽培されている農家のキャンペーンをやっているのですが、当社が農産物を仕入れてキャンペーンをするみたいな感じです。情報発信も全部、当社の費用負担でやっています。利益度外視というか、先行投資というか。どのようにして収益を上げているかというと、農業以外の業種で、ITやAIを活用した企業のマーケティング支援、コンサルティングを行って食いぶちを稼いでいる感じです。

地方自治体主催で農家にセミナーなどを行う自治体とのコラボも当社の持ち出しです。まずは実証というか、結果を出さないことには自治体は動かないと思うので、基本的に無償でやっています。

そういう意味では、私の農業についての活動の多くは、Metagri研究所での活動ということになります。

農情人 甲斐さん
「農業コンサルタントとしてはまだ収益を得ていません」と語る甲斐さん。

異業種も参加する独自のコミュニティ

──甲斐さんが主宰されている「Metagri研究所」というのはどのような組織ですか。

甲斐 Metagri研究所は、2022年3月にコミュニティアプリ「Discord」上に立ち上げたオンラインコミュニティです。「Metagri(メタグリ)」は、「Meta(超越する)」と「Agriculture(農業)」を掛け合わせた造語です。農業に対して多くの方が抱く「儲からない」「きつい」「かっこ悪い」といった固定観念を、テクノロジーの力で超越していこうという考え方を表しています。

Metagri研究所の最大の特徴は、その多様性です。農家はもちろんいますが、実はそれ以外のメンバーが多数を占めています。エンジニア、マーケター、デザイナー、高校生・大学生など、実に多彩な顔ぶれが集まっています。共通点は「農業の常識を超越する」という理念に共感していること。それぞれのバックグラウンドを活かし、「どうすれば農業をアップデートできるか」とアイデアを持ち寄り、議論し、実際にプロジェクトを立ち上げています。

参加してくださっている農家の中には「こんなことしたい」とか、「AIでこんなことできました」という投稿があって、それに対して農業をやっていない人、ITとか新しいスキルを持っている人たちが「こうやったらどうですか」というアイデアを出し、ディスカッションをして、「じゃあ、これをやってみよう」と実際のプロジェクトをスタートさせるみたいなことですね。

Metagri研究所に登録している人は、1300人くらいですが、アクティブな人は50人から100人程度の規模感です。

Metagri研究所のホームページ。Discordを利用したコミュニティを作り、農業を中心としたディスカッション・トークを行っている。

甲斐 具体的な取り組みとしては、農産物とNFT(デジタル証明書)を組み合わせたプロジェクトの展開、貢献度に応じたトークン(ポイント制度)の発行、農業メタバースを土台にした農業体験の提供など、デジタルとリアルを融合させた多様な実験を行っています。単なる情報交換の場ではなく、農業の未来を一緒に作り上げていくコミュニティとして機能しています。

コミュニティの中でさまざまな情報発信やイベントを行っていますが、根底にある意図は「農家が読んで終わりではなく、実装し、改善し、共有するところまで進む状態を作る」ことです。

2026年1月に立ち上げた「農業AI通信」は、「農家のために、農家の言葉で伝えるAI活用メディア」という取り組みで、「確定申告テンプレート」「農産物POP作成プロンプト」「レビュー返信テンプレート」など、実務に直結するツールを提供しています。こうした農家が現場ですぐに使えるテンプレート(手順書・プロンプト・チェックリスト)を資産として蓄積していく実践メディアになっています。

イベントについては、大きく3つの柱があります。

1つ目は「農業AIハッカソン」です。2025年に日本初の試みとして開催し、農家とクリエイターがチームを組み、AIと対話しながらプログラミング経験がなくてもアプリケーションを開発する「Vibe Coding」という手法を実践しました。実際に「柑橘農家向けAI問い合わせ対応システム」や「酪農PRゲームアプリ」などが生まれ、社会実装に向けて動いています。2026年2月には茨城県水戸市の鯉渕学園農業栄養専門学校でもワークショップを開催しました。

2つ目は「AGRI VISION」というAI動画コンテストです。「100年後の日本農業」をテーマに、動画生成AIを使って未来の農業ビジョンを映像で表現するコンテストを実施しました。全33作品が集まり、宇宙農業や都市融合型農業など、多様なビジョンが生まれました。

3つ目は、テーマ別の交流会やセミナーです。酪農、果樹、有機農業など、テーマごとに農家とコミュニティメンバーが直接対話する場を定期的に設けています。

これらすべてに共通する意図は、「AIを始めとする新技術は手段であり、目的は農業を魅力的な産業に変革して持続可能な仕組みを作ること」です。農家が一人で悩まず、仲間と一緒に新しい可能性を見つけられる環境を作ることが、私の役割だと考えています。

1つ目のハッカソンに至った背景もちょっと補足させていただくと、AIは今、一般的に検索の代わりに使っている人が多いと思うのですが、やはり実務で実用的に使わないともったいないと思っています。

2023年に、ChatGPTの登場で生成AIのブームが起こりましたが、その時に「AIを使って何ができるか」を考えました。農業とAIを掛け合わせてデザインコンテストをやったら面白いのではと、画像を作れるAIで未来の農業をみんなで作ってみようというのが最初のハッカソンの始まりでした。

あまり実用的ではなかったですが、参加者の方に「こういう使い方もできるんだ」ということを実感していただくことが目的ですね。それから「AIで音楽を作ってみよう」とか、「メタバースの3DモデルをAIで作ってみよう」とか、AIが進化してできることが増えるのに応じて、農業と掛け合わせてコンテストをやってきました。

それで、2025年のタイミングで、AIを使えばエンジニアでなくても、システムも簡単に作れるというトレンドが来たんですね。「Vibe Coding」という手法ですが、プログラミング経験がない農家でも、AIと対話するだけで自分専用の業務ツールを作れます。

実際に、茨城県での30~50代を対象としたAI実践ワークショップでは、2時間で参加者が自分だけのアプリを作り、URLで共有するところまで到達しました。ある程度、「こんなことがしたい」と言語化できれば、プログラミングの知識がなくてもある程度のシステムが作れます。

課題を収集
農業の課題を収集することもMetagri研究所の目標の一つ。最新技術を活用して、課題を一つひとつ解決することで、農業を魅力的な産業に変革して持続可能な仕組みを構築する。

甲斐 2025年夏に、ハッカソンという形で「農業課題を解決しよう」というイベントを行いました。まず、3つの農家にそれぞれテーマを決めてもらって、それをみんなで作ろうみたいな感じで3つのアプリを制作しました。できたものは農家に使ってもらって、そのフィードバックでさらに改善していくというようなサイクルを一つ回し始めたという感じです。

3つの課題というのは、1つは酪農家の管理システムです。牛の個体の識別番号による情報、例えばどれだけミルクを出したとか、エサをどれくらい食べたとか、そういうものを管理しているのですが、農家ごとにバラバラらしいんです。それを一つにまとめたいというビジョンがあったので、そのプロトタイプを作ってみようみたいなのが一つ目の、酪農家のテーマでした。

2つめは、みかん農家のテーマです。食べチョクとかポケットマルシェとかいろんなECに出荷しているらしいのですが、結構、消費者の方とのコミュニケーションが大変らしいんです。口コミとか、レビューとか、DMとかを投稿しなければいけない。そこで、そういう投稿用に自分らしい文章を書いてくれるAIサポーターが欲しいという課題でした。

最後、3つ目はねぎ農家のテーマで、病害虫の発生を予想するシステムが欲しいという課題でした。

三者三様バラバラのテーマでしたが、参加者がそれぞれのテーマに分かれてディスカッションしながら、1ヶ月かけてアプリを作って発表していただきました。最後に、農家に使えるかどうかを審査してもらったというのが1回目のコンテストでした。

牛の管理システムを提案した酪農家は、AIを本当に活用されていて、確定申告や、SNSでの発信など、さまざまなところにAIを使っていて、しかもその情報も公開してくださっています。

今、AIを使っている農家が増えています。少し前は、「AIを何に使えばいいかわからない」とか、「どれを使えばいいですか」という話だったのに、今は「AIで何をしたいか」がある程度見えている人からの問い合わせが増えているので、農業のAI活用の転換点にかかっている気がしています。

農業のIT化を阻害するもの

──農業のIT化の必要性について、長い間いわれてきましたが、普及しなかった理由、阻害していた理由はどんなことですか。

甲斐 これは日頃から農家と接する中で、強く感じている課題です。大きく4つの理由があると考えています。

①「使いこなせない」という心理的ハードル
農家の多くは50代以上で、スマートフォンやパソコンの操作自体に苦手意識を持っている方が少なくありません。高性能なシステムを導入しても、「使いこなせないから」と敬遠されてしまう。技術の問題ではなく、心理的なハードルが最大の障壁です。

②初期コストと投資対効果の見えにくさ
農業は利益率が低い産業です。数十万円〜数百万円のシステム導入費用は、農家にとって大きな負担です。しかも、投資した結果どれだけ収益が増えるのかが見えにくい。目に見える効果が出るまでに時間がかかるため、「今のやり方でいい」となりがちです。

③現場の多様性に対応しきれない
農業は、作物の種類、地域の気候、土壌条件、経営規模など、現場ごとの条件が千差万別です。一つの汎用的なシステムではカバーしきれず、結局は現場に合わせたカスタマイズが必要になる。そのカスタマイズコストがまた障壁になるという悪循環が生まれています。

④「データを取る文化」がない
多くの農家は、長年の経験と勘で農作業を行っています。そもそもデータを記録する習慣がないため、ITシステムを導入しても入力するデータがない。データがなければシステムも機能しない。この「データの空白」は深刻な課題です。

ただし、生成AIの登場で状況は大きく変わりつつあります。従来のIT化は「システムに合わせて人が変わる」必要がありましたが、生成AIは「人の言葉に合わせてシステムが動く」。この逆転が、農業IT化の最大のブレークスルーになると確信しています。

ナスの栽培にAIを活用
ナス栽培にAIを活用することを検討している甲斐さん(写真提供:農情人)。

AIが農業にもたらす大変革

──生成AIの登場で、農業にどんな変化が起こるでしょうか。

甲斐 従来の農業のIT化は「名人の暗黙知をデータ化して自動化する」「育成環境をセンサーで管理する」というアプローチが主流でした。しかし生成AIの登場で、農業のデジタル化はまったく新しいフェーズに入ったと感じています。

①「データがない」からこそ生成AIが活きる
従来のAI(機械学習)は大量のデータがないと機能しませんでした。しかし生成AIは、少量のデータや自然言語での説明からでも、有用なアウトプットが出せます。例えば、ベテラン農家の「今年は梅雨が長かったから、この時期の消毒は少し早めに」という一言を入力するだけで、AIがその知見を構造化し、他の農家にも活用できる形に変換してくれます。私はこれを「スモールデータ×生成AI」と呼んでいます。データ不在の現場でこそ、生成AIは最も威力を発揮するフロンティアなのです。

②専門システム不要の「Vibe Coding」
もう一つの大きな変化は、農家自身がシステムを作れるようになったことです。私たちが推進する「Vibe Coding」では、プログラミング経験ゼロの方でも、AIと日本語で対話するだけで業務ツールを開発できます。「日報を定期的に入力するアプリが欲しい」と伝えれば、農作物の種類・作業内容・時間などをヒアリングした上で、AIが自動的にアプリを生成してくれます。途中でエラーが出ても、AIが自分でコードを修正します。要件さえ伝えられればシステムが作れる時代になりました。

③マーケティング・販売の民主化
生成AIにより、農産物のキャッチコピー作成、商品写真の加工、SNS投稿、レビュー返信などが誰でもできるようになりました。これまで大規模法人しかできなかったプロフェッショナルなマーケティングが、個人農家にも開放されつつあります。

──農業はデータを集めるのが難しいと言われます。多くの農家が連携すれば、データ収集が容易になると思いますが、こうした取り組みは行われないのでしょうか。

甲斐 農業は1年に1回〜数回の収穫サイクルであるため、単独の農家ではデータの蓄積に非常に時間がかかります。複数の農家が連携すれば一度に大量のデータが得られるのは、理論的にはそのとおりです。

実際に、大規模な農業法人や一部の先進的なJAでは、圃場データの共有や栽培記録のデータベース化に取り組んでいると思います。しかし、広く普及しているとは言いがたい状況です。

普及が進みにくい理由はいくつかあります。まず、農家にとって栽培ノウハウは競争力の源泉であり、「自分の手の内を見せたくない」という心理が働きます。また、圃場ごとに土壌や気象条件が異なるため、「隣の畑のデータが自分の畑に使えるのか」という疑問もあります。さらに、データの規格統一や入力の手間といった実務的なハードルも大きい。

ただし、私はこの課題に対して、生成AIが突破口になると考えています。

Metagri研究所には、全国各地のメンバーが参加しています。酪農、果樹、米、畑作など多様な農家がいて、テーマ別の交流会を通じてお互いの経験を共有しています。生成AIを活用すれば、こうした農家が語る経験談や観察をそのまま音声や文章で入力するだけで、AIがパターンを抽出し、知見を構造化してくれます。わざわざセンサーを設置したり、統一フォーマットでデータを入力したりしなくても、「今年はこの時期に雨が多くて、こう対処したらうまくいった」といった言葉が、そのままデータになります。

先ほど紹介した「農業AI通信」では全国の農家へのインタビューを続けており、2年間で100人の農家に話を聞くことを目標にしています。このインタビュー自体が、定性的なデータの集積であり、それをAIで分析・構造化することで、従来の定量データとは異なる角度からの知見を引き出せると考えています。

農家同士の信頼関係をベースにしたコミュニティの中で、自然な形でデータが共有される仕組みを作ること。これがMetagri研究所の挑戦の一つです。

松本さん
「AIは、これまで難しかった農業のデータ収集を容易にし、より効率的な農業経営を可能にすると思います」(甲斐さん)。

農業の常識を超越する挑戦を

──最後に、これからの日本の農業がどうなるか、甲斐さんの希望も含めてお話しください。

日本の農業の未来について、私は楽観的に見ています。ただし、それは「何もしなくてもよくなる」という意味ではなく、「正しくテクノロジーを活用すれば、大きな可能性がある」という意味です。

まず短期的には、この1〜3年で生成AIが農家にとって「特別なもの」ではなく、「当たり前の道具」になると考えています。スマートフォンが普及したように、AIアシスタントが農作業の相棒になる。日報作成、顧客対応、販促物作成、経営分析など、日常業務の中にAIが自然に溶け込む世界がもうすぐそこまで来ています。

例えば、これからも展開していく「農業AIハッカソン」では、非エンジニアの方がVibe Codingで自分だけのアプリを作り、それを社会実装するところまでを一気通貫で行う設計にしています。外部のIT企業に依頼しなくても、農家自身が課題を解決できる。この事例を全国に広げていきたいと考えています。

長期的な展望としては、日本の農業は高齢化・後継者不足という世界に先んじた課題を抱えています。しかし裏を返せば、この課題を解決できれば、世界中の農業国に対してソリューションを輸出できるということです。

例えば、カンボジアのような途上国がAIを国として推進した瞬間に、日本は一気に負ける可能性があります。だからこそ、今のうちにテクノロジーと農業の融合を進め、日本発の農業DXモデルを確立する必要があります。AIを使わないこと自体がリスクになりつつあると思います。

最後に、私個人の希望をお伝えします。私の原点は、広島の祖父母の田んぼです。「農業は大変だけど、誰かがやらないといけない」ではなく、「農業って面白い、やりたい!」と若者が目を輝かせる世界を作りたいと思っています。そのために、AIを始めとする最新技術を農業の現場に届け続けます。Metagri研究所のコミュニティメンバー、全国の農家、そしてZ世代たちと一緒に、「農業の常識を超越する」挑戦を続けていきます。

農業という最も泥臭い現場にこそ、最新技術が威力を発揮する可能性がある。私はそう信じています。

甲斐さん
「正しくテクノロジーを活用すれば、日本の農業には大きな可能性があります」(甲斐さん)。